正しい行動とは

 先日参加したマラソン大会でのこと。
 公園の中を走る大会で、お店の前の一般の来園者が出入りする場所では、ランナーと歩行者の通る場所を分けるためにカラーコーンを設置していました。

 親子マラソンを走っていた男の子が、カラーコーンが一つ倒れているの気づき、立ち止まって起こしました。
 私はそれを見て、「よく気が付く子だ。倒れたままだと他の人がつまづいて転んだりすると危ないので、自然とそういう行動ができるのはすばらしいな」と思いました。

 その時、その男の子と一緒に走っていた母親は「そんなんしなくていいから。ほっときなさい」とその行動を咎めるような言い方をしていました。

 私は、気が付いた人がコーンを起こすのがいいんじゃないかと思います。
 先頭争いをしているとか、後ろにもランナーがいて立ち止まると危ないとか、状況によってはそういうことをするべきではないこともありますが、その親子は後ろの方をゆっくり走っていて、後続のランナーとも距離がある状況でした。

 その母親の言葉を否定する気は全くありません。
 マラソン大会ですから、わき目も降らずに一生懸命走るというのも大事なことです。

 ただ、そのように褒められるような行動をしたときに頭ごなしに否定されてしまうと、子どもは「自分の行動は間違っている」「正しいと思っても余計なことはしない方がい」と思うようになっていきます。

 その結果、自分に自信がなくなったり、事なかれ主義になったり、自分のやりたいことができなくなっていくのです。
 そんなときに「ありがとう。いい心がけだね。だけど、こういう大会ではスタッフの人がいるからコーンを起こすのはその人たちに任せてあなたは走ることに集中していいのよ」とでも言えば、子どもも否定されたという感覚が残らないのではないでしょうか。

 私はその大会でフルマラソンの部に出場しました。
 気温が高く、途中棄権のランナーが多くて、救急車で運ばれる人もいました。
 スタッフは「絶対に無理しないでください」と呼び掛けていました。

 走っている途中で、前の方に倒れているランナーがいて、3人のランナーが救護しようとしていました。
 幸い、重症ではなさそうで意識もしっかりしていて、すぐ近くにスタッフがいたので対応してもらうことができました。

 マラソン大会というのは、自分の記録や完走よりも、安全第一、人命第一です。
 オリンピックや世界記録を狙うようなランナーならともかく(そんな人は周りにスタッフがいるので対応してもらえます)、自分のレースよりもみんなが安全に走り、無事に家に帰ることが大切です。
 でも、マラソンを始めた頃の私は、具合が悪そうなランナーがいても下 手に声をかけたりするのも気まずくて素通りしていました。
 マラソン大会に限らず、道端でうずくまっている人がいても、どうしていいかわからず、「まあ、誰かが声をかけてくれるだろう」ということにして素通りしていました。

 子どものころに親から「そんなことしなくていい」「余計なことをしなくていい」「あなたが何かしても役に立たない」などと言われて、何もしないことが一番で、自分が何かをしない方がいいと思い込んでしますと、自分が「ほんとうはこうするのが正しいはずだ」という行動ができなくなってしまうのです。

 今回、私が倒れたランナーのすぐ近くを走っていたら、自分の完走よりもそのランナーを救護することを優先したと思います。
そのことによって自分が完走できなくなっても、そうしたと思います。

 私が参加していたのはフルマラソンで、39km地点の関門まで残り約700m、関門閉鎖時刻まで5分しかないという完走できるかどうかギリギリの状況でした。
 その上両足がけいれんしていて、一度立ち止まると再びスピードを上げるのは容易ではなさそうでした。
 私は「時間が残っていないから止まらずに行きたいけれど、助ける方が先だ」と思いました。
 倒れているランナーの横まで行くと、幸い、そのランナーは命に関わる状況ではなさそうで、スタッフの人も「大丈夫だから行っていい」と言うので、先を急ぎました。

 そして、39kmの関門を残り50秒でクリアし、無事に42.195kmを完走することができました。

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